ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2011年5月15日日曜日

キッシング・グラミー(サカモト)



キム・ジウン監督の映画『悪魔を見た』が、スペインのビルバオ国際ファンタスティック映画祭で大賞を受賞したそうだ。その映画祭のことは詳しくはないけれど、やはり賞を獲得したかと思った。肝に伝わる作品にはオーラがあって、そんな未来が待ち構えていることが、なんとなくわかるのである。

昨夜は、久しぶりに韓国映画「シュリ」を観た。何年かぶりに同じ映画を見ると、見落としていた部分と、時を経ても確実に覚えている絵があって、その覚えている絵がとてもシンプルでさりげないシーンであったりして、自分でへーなんて頷いたりしている。すっかり忘れていたのは、熱帯キッシング・グラミーオス同士が出会うと口で押し合う闘争行動をおこなうが、これを傍から見るとキスをしているように見えるためキッシングの名がついているという。「シュリ」の恋人同士の会話から、「つがいでいないと生きていけない、片方が死ぬともう片方の体調が急激に悪くなり死んでしまう」という場面がある。実際のキッシング・グラミーはそうではないらしいが、その会話を聞いてハッとした。

二人でひとつであるという感覚。まさにジャン・ジュネ「女中たち」の姉妹もそうなのだ。結局は、お互いが自立できぬままなのだ。その関係性の中で生き、年老いていく。年というものは不思議であって重ねれば器量のあるものになるわけではなく、かえってややこしくなる場合もある。


戯曲の読み方が、一方向からの解釈でしかなかったものが、時を置いて違う角度から見られたとき、心が洗われる。人間に対する興味、人間というもの。そして現在進行形で生き続ける自分という人間が読む。実は、自分という人間の器量も問われているのだ。

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