キム・ジウン監督の映画『悪魔を見た』が、スペインのビルバオ国際ファンタスティック映画祭で大賞を受賞したそうだ。その映画祭のことは詳しくはないけれど、やはり賞を獲得したかと思った。肝に伝わる作品にはオーラがあって、そんな未来が待ち構えていることが、なんとなくわかるのである。
昨夜は、久しぶりに韓国映画「シュリ」を観た。何年かぶりに同じ映画を見ると、見落としていた部分と、時を経ても確実に覚えている絵があって、その覚えている絵がとてもシンプルでさりげないシーンであったりして、自分でへーなんて頷いたりしている。すっかり忘れていたのは、熱帯魚のキッシング・グラミー。オス同士が出会うと口で押し合う闘争行動をおこなうが、これを傍から見るとキスをしているように見えるためキッシングの名がついているという。「シュリ」の恋人同士の会話から、「つがいでいないと生きていけない、片方が死ぬともう片方の体調が急激に悪くなり死んでしまう」という場面がある。実際のキッシング・グラミーはそうではないらしいが、その会話を聞いてハッとした。
戯曲の読み方が、一方向からの解釈でしかなかったものが、時を置いて違う角度から見られたとき、心が洗われる。人間に対する興味、人間というもの。そして現在進行形で生き続ける自分という人間が読む。実は、自分という人間の器量も問われているのだ。