ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2012年3月25日日曜日

つぼみ(ヨシムラ)

ほぼ毎朝6時に家を出る。少し前は真っ暗だったが、だんだん明るくなり寒さも緩んできた。とはいえ3月も末というのに桜が咲く気配もない。寒い冬だった。


我が家の前には首都高速が走っており、高架下は野宿者たちの溜り場になっている。このあたりは、東京スカイツリーの開業を控え、野宿者のテント排除の圧力が強まっているという。野宿者たちは団結して闘う姿勢を見せており、先日はついに「春のビンボー祭り」いうイベントまで開いていた。玄関を開けるとブルーシートがまた増えている。私は考える。そびえるスカイツリーを眺めいつか登ってみたいと思う。そして野宿者たちとどこかでつながっていることも感じる。うまく言えないけど。

今年は6月と8月に公演の予定があり、それぞれの稽古を徐々に始めている。芝居の稽古というものは様々なやり方があると思う。少し前は公演の2ヶ月位前から集中的にやることが多かったが、なかなか仕事も休めない現状の今は、数ヶ月前から少しずつ準備をするやり方に変わってきた。6月のかもねぎショット公演「8人の女(仮)」は気心の知れたメンバーにより、各々の人物像、ストーリー、アイデア等を、話合いや試演を繰り返しながら作品を作る試みをしている。

そして8月のZORA。二人芝居。素晴らしい戯曲と出会い上演権も得た。こちらは本を抱えてふたりで富士山を登るような作業。ゆっくりでも登り続ければ山頂も見えてくるだろうか。稽古のやり方も変わったが、いちから丁寧につくることの大切さを感じる。年齢とか状況は逃れられないものだが、歳をとることも生活していくことも、おもしろいと思える。ときどき疲れてだめにもなるけど。でも、まあ、おもしろい。じっくり作品に取り組むこと、妥協しないこと、なあなあにならないこと。生来なまけものであるが故、律していかなければならないと思い稽古場へ向かう日々である。

2012年3月19日月曜日

ケンチャナよ~(サカモト)


「我が心のオルガン」監督 : イ・ヨンジェ  封切り : 1999. 03. 27 


韓国映画をBGMにコーヒーを飲みワインを飲む。画面を見ていなくてもアイゴー、アニハセヨーという響きが心地よい。2000年前後の頃のほのぼのとした韓国映画が最近私の癒しとなっています。目には目を歯には歯をという時間の呪縛から逃れ一人の心地よさを感じる時間。20年間以上も満員電車に揺られていたのに今はほとんどガラガラの電車しか乗らなくなり、たまに誰かが隣に座っても圧迫感を感じ席を移動したくなります。そのくせ妙にさびしさを感じたり。長くひとりで暮らしているせいなのか、ついにひとり病がはじまりつつあるのかもしれません。先週はみっつの作品を観ました。


① ≪朗読とピアノ≫メロドラマ:イノック・アーデン 詩:アルフレッド・テニスン 作曲 :リヒャルト・シュトラウス ダニーボーイのピアノソロ、藤田さんの朗読、お二人の清潔感と暖かさが伝わってくるいい空間でした。何より泣ける物語。 


②Pina 3D/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのちヴィム・ベンダース 春の祭典、カフェ・ミラーの舞台では力強さがダイレクトに伝わってきましたが、映画は何より美しく映像美の賜物でしょうか。はじめての3Dが体験でき、文字が浮かびあがっているのは新鮮でした。 




③ サド侯爵夫人 野村万斎演出 3時間40分。20歳の頃の劇団の大先輩白石加代子さんが現役で爆発的なエネルギーを彷彿させていることに脱帽です。



みっつとも私の感性にビビッドに伝わる作品が見れて、久しぶりに出かけてよかったと思える週でした。


ケンチャナ(韓国語で大丈夫)よ~。日本語で言われるより、異国語のこの響きになぜか癒されます。もしかしたら日本人が忘れてしまった情の深さが韓国にはまだ残っていて、日本語で大丈夫よと言われる声の浅さに心が動かなくなってしまった分、このケンチャナに反応してしまうのかもしれません。映画でも舞台でも、いい作品いい俳優をみるたび、心の鐘が鳴り響きます。

2012年3月11日日曜日

3月11日(ヨシムラ)


午後2時46分。
いつものように少し眠い時間だったと思う。江東区にあるビルで働いていた。一瞬の沈黙、予感があって、あとはただ揺れた。床に手を着き大地を押さえるような気持ちで耐えたが、振り落とされるのではないかと思う程の震動だった。近くの公園に避難し、歳の近い同僚たちは皆 家族へ、お子さんへ、連絡を取ろうとしていた。必死に。私も携帯を手に取ったが、真っ先に安否を確かめるべき家族を持たないことにそのとき気づいた。震災後、結婚する人が増えたというけど。そのときはさみしいというより、自分に家族がいないという現実を初めて実感した。

あれから一年経った。
状況は少し変わった。職場は地震の被害でしばらく封鎖となり、その後、我々は解雇となった。職探し、新しい仕事、そして芝居。そして既に体の底から感じた大地の振動も、ただなすすべもなく眺めた津波の映像も、原発の不気味さも、驚く程薄れていることに気づく。忘れている。被災地では現実との終わらない戦いが続いているというのに。

地震の後、なにもできない虚しさのなか、家にこもりなぜか南米の小説を読みふけっていた。そのときの思いを次の芝居につなげようと、今している。震災の後、震災を扱った芝居を数本観た。地震の前と後、作品が同じであるはずはない。作家や集団が芝居でできることを模索している姿は正しいのだろう。しかし安易と思われる取り上げ方もあり失望もあった。むずかしいものだと思う。

孤独であること。孤独を知るからこそ人に触れたいと思う気持ち。ものをつくることの自覚。など考える一年目の今日である。

2012年3月5日月曜日

弥生(サカモト)




ふと立ち寄った近所の本屋で、演劇雑誌「悲劇喜劇」2011年の公演収穫の欄に、舞台写真家宮内勝さんが「女中たち」の韓日バージョンを挙げてくれていたのを目にしました。公演は賛否両論でしたがこうして観た方に心に留めていただけたことは素直にうれしいです。

そして夜、杉村春子さんの「女の一生」のDVDを見ました。実は私はこの有名な作品を一度も見てなかったのですが、面白くてビックリしてしまいした。私が見たのは19611月の上演ですが、何も古臭さを感じません。政治状況を述べるシーンも、日本の未来を案じるようである恐ささえ感じます。杉村さんの台詞の明晰さ、可愛さ、スピード感。そして出演されている全ての人が、皆、魅力的です。ちょうど節分の豆まきのシーンも登場し、この3月という微妙な季節感がしみじみ伝わってきました。

昨年の311日午後2時過ぎ、私は寝ていました。揺れの激しさを感じながらも、前日徹夜同然だったので眠くてしょうがなく、テレビもつけず再び寝てしまったのです。夕方になって事の次第を知っても信じられずにいました。そしてすぐに、又、韓国へ旅立ってしまいました。ある有名な映画監督が次回の映画を撮る際に、日本に生きているならこの事を避けずには通れないと雑誌にコメントするのを拝見し、あの時より今、私の心が痛みだしました。私も表現ということに携わる一人ですし。

草木が芽吹く月、弥生。どうぞ、新しい命が実っていきますように。一年が経とうとしている今、このような言葉でしか述べられませんが、災害に見舞われた皆様に、お祈りいたします。