ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2011年3月27日日曜日

犬も歩けば(ヨシムラ)


天災から2週間経ち、じわじわと影響が及んできた。私の住居と職場のある江東区は液状化による地盤沈下などの被害もあり、ビルの安全点検のため仕事が休みになったりした。節電のため、友人宅におしかけ、本棚から本を拝借して読書。つげ義春、柴田元幸、プイグ。他人の本棚は興味深い。ことにプイグの『蜘蛛女のキス』を密室の薄明かりで読んでいるとぐいぐいと引き込まれた。映画、舞台にもなった作品だが、活字から想像する世界は彼方まで広がる。

このように自宅か友人宅でじっとしている日々なのであり、演劇から遠く離れているのである。テレビで被災地の様子など見ていると、ただテレビを見ているだけの自分なのである。そんな折、避難所でピアノを弾く少年の映像が流れた。自閉症の少年はラジオ体操の曲を弾き、曲につられて次第に体操の輪が広がった。そのうち少年は様々な曲を弾き始め、避難所に音色が響いた。



このピアノの音色なのだな、と思うところがあった。

週末は久々に歌舞伎町へ出向いた。ネオンを控えて街は少し薄暗いが、懐かしい居酒屋「番番」のおやじさんの風情も変わらず、店は活気にあふれている。なんだか元気な人(サカモト)と話し、飲み、久かたぶりに体の中から活力が湧いてきた。

犬も歩けば…
という諺は、外へ出れば人から棒で殴られたり災難にあうこともあるが、思いもかけない幸運をつかむこともある、という両方の意味があるのだそうだ。

ヨシムラも歩けば…
なにか見つかるかもね。

2011年3月20日日曜日

飛行(サカモト)


村上春樹さんの「ノルウェイの森」だったと思う、飛行機はハンブルグ空港に向かう機内で、ビートルズの「ノルウェイの森」を聞き、主人公「僕」は極度の混乱状態に陥る。そしてフラッシュバック形式で主人公「僕」と自殺してしまった愛する恋人、直子の昔の物語が始まるのであるこの爆発的に売れた本のせつなさに似た感覚が、今年1月、韓国に渡航する際、私に襲いかかってきた。

そんなに大げさではないから、少し恥ずかしい気もするのだけど。若かりしころ、海外公演に出向いていく時は希望に燃えて、寂しさなんてひとかけらもなかった。勿論、今も演劇的な好奇心は消えないのであるが、日本では雑多な雰囲気に覆われ、孤独感も誤魔化し時をやり過ごしていても、海外に出向くということは、私はひとりなんだという思いに気づき、自分で切り開いた家族もなく、子供も持たなかった孤独感が、誰かに愛され愛したいという渇望が、より一層自分を満たしやりきれなくさせるのだ。てな事を思っているうち、韓国は2時間で到着してしまうから、ヨーロッパ渡航とは違って、余韻に酔ってふさぎこむ時間もない。でもそのふさぎこむ時間もなぜかいとおしい気もするのだけど。だって機械じゃないのだから。

韓国から戻って、1週間もしないうちにこの非常事態に遭遇し、そしてまた今月末には、日本を離れる。愛する人を失ったとき、これまで築きあげてものを失ったとき、残されたものはどうするのか、これからどうやって生きていくのか、私にもわからない。でもきっと誰かが傍にいてくれることが、とてもおおきな励ましになるのだとは思う。ひとつづつ前へ向かって。

2011年3月13日日曜日

ひとの及ばぬもの(ヨシムラ)

金曜日の午後は10階の職場にいました。大きな震動に驚き、机の下にもぐるのがやっと。ばたばたと書類が落ちる音を聞きながらなすすべもありません。少し落ち着き、ヘルメットをかぶるとまた震動がきました。机の足にしがみつき、なにかを祈ろうと思うのですが、誰のために何を祈ったらいいのかわからなくなり、そこで少し冷静になりました。落ち着こう、と思いました。

小さなお子さんがいる方は本当に心配そうでした。妊婦の方もいました。皆で近くの公園に避難して、その後解散となり、幸い家が近い私は歩いて帰りました。そのときはまだ起こっていることの大きさを知りませんでした。

家はコップが割れ、本が散乱していました。余震に怯えながら片付けている間にも、テレビからは被害の大きさ、惨状を伝える報道がずっと流れています。家や車が津波にのみこまれてゆく映像は、現実のものとは思えず、何が起こっているのか、底知れぬ恐怖を感じました。

わたしたちは日々、小さな計画をたてたり予定を組んで、少し大きな目標やもう少し大きな夢に向かって生きています。先のことを楽しみにしたりそのためにがんばったりすること、そういうものが、根こそぎ奪われてしまうとしたら。被災された方の思いは計り知れません。

一夜明け、帰宅難民となっていた友人と連絡がつき、うちへ招き、交通機関が止まった東京の夜の話を聞きました。日常は、意外と脆く危ういものです。

かつて訪れた美しい東北の風景、人々を思い出します。
持てる力と知恵を集めて立ち向かうこと。かんたんではありませんが、できることを探し、行動を起こすことが大切なのだと思っています。

2011年3月6日日曜日

盗むように密やかな(サカモト)


                                    2/28~3/3「女中たち」 舞台セット

本日、韓国より帰国しました。1/30~3/6の滞在。あっという間と思いきや、色々ありました。でも行って良かった。釜山にあるガマゴル劇場で、ワークショップの発表という形式での公演ではありましたが、女中二人は、ほとんど出ずっぱりで、台詞の量も膨大なこの作品。終わるともう汗でびっしょりです。そして、このジャンジュネ「女中たち」を正式に公演する運びとなり、3/31に再び韓国へ出発し、4/8~15に再度ガマゴル劇場で公演し、16日と17日は金海(キメ)フェスティバルにも参加してきます。

公演は字幕スーパーがつきますが、久しぶりに、民族の違いも超えたその反応に嬉しさを覚えました。国境を越えて通じ合える力、訴えることのできるもの。それは何なのかということを痛切に感じました。最近は舞台にいながら、以前とは違う自分、変わりつつある自分を感じます。演劇を通して、遊び、企み、戯れる。もっともっと未知な自分に出会える確信を得ました。この国の方の大らかさと熱さを胸に、また花粉の時期の東京に戻り、稼ぎながら勉学し、この国を出て行こうと思っています。


ジャン・ジュネは、二人の女中たちを演じる女優の演技は、盗むように密やかなものでなければならないと言っています。悲しくも美しいこの作品の真髄に近づくには、まだまだです。がんばります。

(ガマゴル劇場の前で。大きなポスターも作成してくれました。)