ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2010年7月25日日曜日

夏の空に打ちあがれ!(サカモト)

花火の打ち上げ時間までに帰宅せねばと、自転車を走らせる。1900時。ペダルを踏みながら、右の空を見上げると薄闇に紛れるように、淡いオレンジの夕焼けが筋状に走っている。淡いけれど光沢があり、とても美しい。そして左の空には薄月が丸く、ある。この暑さも自転車を走らせることによって、風が生まれることを知り得した気分。バス通りには、サルスベリが色鮮やかに咲き誇る。この街に引越ししてきてから丸12年が経つが、本当によかったと思う。都心に近いわりには緑が多く、季節ごとに咲く花にオーイと叫びたくなるのだ。

そして今日は、部屋から花火を見物する。部屋に入った瞬間、一発目が打ちあがった。ベランダに駆け寄り、堪能する。薄闇だった空はすっかり闇となり、川沿いに色とりどりの花火が打ちあがっていく。ああきれい。何連発もする花火になると地鳴りがし、真っ暗な空を赤々と染め上げ、山火事を見ているような気分になり、怖ささえ感じる。これはある冊子で読んだのだけど、なぜ花火を夏にするかというと、江戸に詳しい人たちが言うには、江戸時代、疫病がはやりやすい時期、厄を払うために空に向かって厄を払うという発想なんだそう。聖なる花を打つ。夏はものが一番腐りやすいし、人が倒れて死んでいく。これをどうにかしなきゃいけないと。あれはおまじないみたいなものなんだと。

ZORAの命名は、空からいただいた。空が変換して、茜空、夕焼け空、夜空となるように、変換された空は「ぞら」と濁る。さまざまな色に変われることを望んで、「ぞら」をいただいた。でも今は、もともとの空の意味に、から、くうとあるように、この意味合いが好きになった。空虚という言葉もあるけれど、ひたすら空っぽの境地で舞台に立てれば素敵だと思う。

さてZORAは、12月上演「ジョンとジョー」のボーイ役のキャスティングに四苦八苦。今日の花火のように、スカッとこの役者さんに!という人にめぐり会いたい。でもきっとめぐり会える。今日の空に向かい、祈り、眠りにつくことにしよう。

2010年7月18日日曜日

古屋誠一 メモワール.(ヨシムラ)

夏!
突然の。
暗い雲の重層を破って、もくもくと白い入道雲。勇んで外に飛び出すと猛烈な光線にくらくらとなり、妄想、幻覚、いや日射病か、ともかく木陰に避難して、道行く人を観察していると、アスファルトから立ちのぼる陽炎の中、誰もが正気を失っているように見える。

「古屋誠一 メモワール.」を見に、恵比寿の東京都写真美術館へ。古屋さんはオーストリアで活動されていて、1999年の秋、私たちが公演のため訪れたオーストリアのグラーツで初めてお会いしました。稽古場や街角にふらりと現れ、他愛のない話をしたり、飲んだり。写真も撮っていただきました。2ヶ月間の滞在中に古屋さんのお宅に招いていただく機会もあり、そこで古屋さんの写真を初めて見ました。ふざけて笑っている普段の古屋さんと、その写真に写っていたものの隔たり。夥しい数の写真。そこに写っていたのは、ほとんど亡くされた奥様でした。


今回の写真展でも、奥様と一人息子の「光明」の日常を写したものが、年代順に羅列され、観客はひとつの家族の強烈な光と、深い闇、死から始まる物語に立ち会うことになります。80年代という時代。自分の記憶も交じり、想いが行ったり来たりします。

記憶と記録。25年に渡って問い続けてきた「メモワール」と題されたシリーズは、今回最後となるそうです。「探し求めていたはずの何かが、今見つかったからというのではなく、おぼろげながらも所詮何も見つかりはしないのだという答えが見つかった」とインタビューに応え古屋さんは仰っています。

祖国を離れ、出会い、愛し、別れ、残された男の記録、あまりにも私的でありながら、「無限の悲しみ」と「燦然と輝く朝の予感」を訴え続けているようにも見えます。

ZORAのチラシも昨年、一昨年と古屋さんの写真を使わせていただきました。光と影、境界線、炎、古屋さんの切り取った風景が、ZORAの世界を静かに包んでくれました。

2010年7月11日日曜日

リア王(サカモト)

新国立劇場、中劇場にて、韓国を代表する劇団、劇団美醜(ミチュ)の「リア王」を観劇してきました。見応えがあり、いたく感動いたしました。「リア王」という作品がこんなにもスケールの大きい作品だと気づかせてくれた演出家に脱帽です。これまで何度となく、さまざまなリア王を見てきましたが、私にとって作品の世界感をこれほどまでに適切に打ち出してくれたリア王は、はじめてです。


作品の懐が大きい分、さまざまなリア王があってしかりです。けれどふとした時に感じる人生の虚無感というものが、この作品の重低音のようになっているようで、私も齢を重ねたぶん、それをより深く感じたのかもしれません。虚無感を提示できるということは、欲望も希望も絶望も全てが人生の皿のうえにしっかりと盛られていて、とても見やすいのです。虚無感は熱いからだがあってこそ。熱くもしないからだで、シニカルやニヒルを装っても、きっと何も感じない。

悪女を演じた、長女ゴネリル、次女リーガンの女優陣。潔かったです。若かりし頃は、悪女の役がくると、どこか自分で無理をしている部分があって辛かったのですが、今は自然にやれる気がしています。ああ、悪女がやりたいと観ながらうずうずしてしまいました。悪い役はやっぱり面白いし、欲望があるってことは生きているってことが、ビンビンと伝わってきてとても気持ちがいい。

30代の頃に出会ったシェイクスピア。マクべス夫人、タモーラ。その言葉の脈絡、響きがとても気持ちよくて、また口にしたいと思いました。いい舞台を見ると元気がでる。私も今年は、後半に3本の舞台があります。それがとても楽しみになってきました。今までになく新鮮な気持ちで、ぶつかっていけそうです。肉離れした足も完治。スポーツクラブも復帰しました。これから来る夏を乗り越え、秋からの舞台に全力を注ぎます。

2010年7月4日日曜日

近くの人、遠くの人。(ヨシムラ)

zora's Websiteは、今年に入って二度引っ越しをしました。一度目は長く住みなれたところを立ち退きにあい、荷物をまとめて出てきたものの落ち着かず、親切な方のお手引きで、二度目の引っ越し、やっとここに居をかまえました。親切な方とは、サカモト実弟の坂本氏。いつも芝居を観に来てくださり、このページもこのように整えてくださいました。普段はお会いする機会もあまりないのですが、今夜は坂本(姉)宅にて集まり、機械に疎い我々にパソコン指南などしてくださいました。恰幅もよく頼りになる弟氏、感謝です!

昔から芝居仲間はその都度居ましたが、こうして親兄弟ぐるみのおつきあいをさせていただくということはほとんどなく。しかしわたしも歳をとり、両親を見送り、人とかかわることの温かさありがたさが身にしみ。こうして姉弟とともに食卓を囲んでいると、遠い日の団らん、父の新聞の匂いや、台所の母の背中が急に思い出され、迷惑や心配をかけたりかけられたりしながら過したこと、こころおきなく文句を言えた日々、懐かしくなりました。

七月になり、まだ梅雨明けずむしむしとしていますが、にわかサッカーファンは日本の善戦に感動し、かつて訪れたブラジルやドイツの試合には熱が入り、「応援する」ことの楽しさになんだか目覚めています。わたしたちも、身近な人や観に来てくださる方、多くの方の応援に支えられています。感謝の気持ちを忘れず、心と頭と体をフル回転して、作品づくりに励みます!

ZORA公演「椅子」より
zora's Website はここで長く暮らすことになりました。
これからもまたどうぞ末永く御贔屓に。