テレビから漏れてくる人の声に救われ、またテレビの雑音にも疲れる。いつも年末からのバタバタはZORAが12月公演が多かったことと、自分の仕事上年末など関係なくなってしまったことも便乗していた。周りが時の趣に流れていく中で、人が動く時にことを起こさず、人が休んでいるときに動く。そんな習わしが身につきはじめていた。でも吉村さんもそうだったからその思いは一人ではなかった、自分で築きあげた家族も子供もいない私達にとっては。そして私は七草粥が終わる頃、ようやく新年の気持ちが芽生え始める。
仕事をしていると次々と差し入れがある。その気持ちがうれしい。
一年は走り出したら止まらないから、どこかで骨休みしないと一年の行先を見失ってしまう。でも幸せなら赴くままでOKなんだろうな。新年の心積もり。今、時を越えて思う。芝居以外にもうひとつの仕事に関わる中で、数年前にご家族からリビング・ウィルの誓約書を預かりました。このようなものがあることも知らなかっです。
次は「初春」と刻み込まれた北海道小豆のどら焼きを頂く。元旦は昼夜、赤飯。
私の母は昭和の女であり、いっぱしの筋が通っており子供に負担をかけないという意味で立派である。私はそんな母を思春期は受け容れられなかった。でも今はいい友達、料理と洋裁を伝達してもらっている。そんな母も大病もし一時は気も弱くなった。がその後、自分が死ぬこと、お墓のことまで、全てを整理し、自分が死んでも周りに負担をかけさせないように配慮をしている。橋を何度も何度もこれでもかと叩いては渡ってきた人である。私は一番身近にいた女性が母で、きっと私はそれが嫌で橋は叩かないと押し進んできた。でも今となってはどちらも必要。
リビング・ウィルでなくても遺言書に書いてる人もいるでしょう。でも遺言書では遅い。人の終わりはなかなか自分では調整できないのではないかと思います。心も体も弱まった時にどれほどの意思表示ができるのか自信がありません。私が4年間病院に関わった時に2月の深夜になると次々と人が亡くなっていきました。魔の季節の2月とも言われてました。今日もと思いながら、ナースさんの傍らで死に化粧を施し着替えをし、穴という穴に綿を詰め込む。天国へと見送る作業をしつつ、現実は美しいものではなく、硬直しないうちに入れ歯を入れなければ入らなくなるなど、ご家族には美しい姿を見せたいと朝になるまで制約された時間の中での作業は続きました。
死ぬ時のこと。私自身もそういう意味では、その覚悟と準備だけはしたいと思います。逆算してそんな読みがあれば、それまでの期間に存分に遊べる。不安だらけで生きるなんて面白くもない。一人は安否確認もされず、心臓が止まってしまったらそれまでだけど、やれる範囲のことは社会で生きているノウハウも身につけつつ。それでもだめな時には、もう意識もないし、野垂死とミイラ化。アハハ、ここまで思うと意外に明るくなれる。新年は死ぬことを思う。そんな感じで明日は楽しい新年会に行こうと思っています。楽しみを分かちあえる人がいることは何よりの幸せです。幸せをもっともっと体に染み込ませ、人生を楽しみたいです。今日こそが、私にとっては新年あけましておめでとうかもしれません。新しい一年の船出です。皆さんの一年も思う存分、楽しいことを願っています!