ふと散歩の途中に知り今日行ってみた。泳ぎながら高校の頃、ひたすら泳ぎ続けた水泳部時代が甦ってきた。都立であったし温水プールも屋根もなく、苔の生えたプールでアメンボやよくわからない虫を飲み込みながらのスパルタ特訓。都大会では4位となり悔しさでコーチは男泣きしていた。まだ自分が演劇に関わるなど思ってもいなかった水の中での個人競技、ひとりである長い時間。泣く程の思いがある男をはじめて見た。
そして・・・
あれから二つの劇団を経て、ZORAに至る。
吉村さんに一緒に何かやろうと新宿地下の総武線のエレベーターの下で、私鉄の西口へ行こうとしている私は急に呼び止められた。返事に戸惑ったような・・・。
でもやりはじめた~
自分で言うのもなんなのだけれど、ZORAは随分と芸術的に優れた作品を選んでいたと思う。役者は受け身である存在なので自分でなかなか作品を選べない。でもいざ自分でやりたいと思ったらその芸術眼は皆かなりの役者は持っているのではないかと思う。受動的なことに慣れてしまってはいけない。吉村さんとの時間はそんな己の芸術魂を再び蘇られせてくれた貴重な時間だったのだと思う。
アゴタクリストフから始まり、イヨネスコ、カミュ、マヌエル・プイグ。そして私が韓国に興味を持ったのは、日本が斜に構えてた時期にじわじわと忘れかけていた人間的な熱さ、俳優の質の高さ。イ・ユンテクさんと関わり、ジャン・ジュネの「女中たち」にも出会った。そして韓国映画のシナリオの質の高さにも気づくことになる。
並々ならぬ作家と出会うとき興奮する。泉鏡花もそうかもしれない。そして稽古中にその言葉に飽きることがない。なぜ虚構なのか?人間の謎や脳は物語を作り出すことによって次元や世界感をまたいで行く。
時間が気づかせてくれる。やはりZORAとして吉村さんと選んだ最後となったあの戯曲をやらねばいけないのかなあ・・・。最近、少しづつ私の胸をノックするのである。ココン…コン・・・・コン・どうしょう・・・。