ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2014年6月15日日曜日

ささやかな幸せ(ヨシムラ)

梅雨入りし、丸4日降り続いた後、猛暑、雷雨。空は激しく、季節も進んでいきます。ワールドカップも始まりブラジルの映像が流れ、10年前ブラジル公演でサンパウロまで行ったことを思い出しました。地球の裏側まで行ってよくやったなぁとしみじみ。残念ながらサッカーは日本、初戦は敗れてしまいました。


先日、不覚にもアゴを負傷。出勤時、乗換駅の通路で転倒。そのまま出社したものの血が止まらず都立病院へ行ったところ、「傷は小さいが深そうなので縫いましょう」と。言われるままに縫われ、落ちついてよく見たらすごいイケメン先生。抜糸でまたお会いできるかと期待したが、日程があわず、「では親父の病院で抜糸してください」と紹介状をもらいました。一週間後、住宅街にある小さな「親父の病院」を訪れたところ、これがまた子供の頃近所にあったような懐かしい病院。内科、外科、胃腸科、肛門科とたくさん書いてあるも、先生は初老の院長お一人。優しい顔で迎えてくださり「こんな小さな傷なのに8針も縫ってますよ。まあ丁寧に。こんな細い糸で」と息子の仕事を満足そうに確かめ、「きれいに治りますよ」と太鼓判を押されました。この素敵な親子の連携プレーで傷も日に日によくなりつつあります。

厄よけに、寄り道して巣鴨のとげぬき地蔵へ。
そこで引いたおみくじは大吉。
「病気、全快す」
「願い事、幸運を沢山積んだ宝船が着く」


朝顔を植えました。どんな花が咲くのか。成長が楽しみ。

2014年6月8日日曜日

エンターティメント(サカモト)


雨が降り、紫陽花が色づく。一週間程前、大谷亮介さんの芝居を観に下北沢「スズナリ」へ。大谷亮介ひとり祭り『男の人生六十年』。観劇前に吉村さんと待ち合わせした喫茶店に行くと重田千穂子さんにばったり♪♪声をかけられ、下北沢はやはり演劇の街。劇場で芝居を観た帰りに、お友達とお茶をなさっていました。

そして吉村さん登場。久しぶりに会い、でも何も変わりなく、よもやま話は続き今年はお互いゆっくり進もうと。 これまで二人共、新幹線並みに動いてきました。でも今、女って・・。女のよさは現代になって薄らいではいる気もしますが、表現の中にもきっとあり、私は自分なりに少し気がついた気がしています。

大谷亮介さんはテレビ「相棒」でも全国的に有名になった方ですが、私は25年前位から存じあげていました。 けれどその後交遊もなく、たまたま4年程前芝居を観に行った後の宴会で同席し久しぶりにお会いしました。



← 篠井英介さん、深沢敦さん、大谷亮介さん
大谷さんは3軒茶屋婦人会で「女中たち」に出演され、私もその頃韓国で「女中たち」を上演し戻ったばかりで、話は膨らみ、3軒茶屋婦人会の「女中たち」のDVDをお借りしました。生で見れなかった舞台でしたが、大谷さん扮するソランジュはとても魅力的で内容もよく伝わってきました。役者としての魅力は抜群です。ものすごく上手いのにそんなことは屁の河童!笑いに還元してしまいます。こんな方がおられるとやはり演劇っておもしろいなと思います。頭でっかちな演劇論ではなく、やはり観て面白かったと言わせなければ。今回日本で躍進なさってる作家お二方の作品を上演。役者に存在感があるからこそ生きる。横内謙介さんは、
「演劇で脳がいかれてしまった大谷さん」と発言なさっていましたが、最高の褒め言葉ですね。



アジサイが咲くと、恩師、能役者観世栄夫さんを思い出します。夏になる前の一瞬。

そして、来週から上演されます映画「私の男」に興味深深です。小説は魅せられましたが、映像としてどう出現してくるのか。熊切監督の「アンテナ」は以前興味深く見ました。本日は「海炭市叙景」のDVDを観て床につきます。私はなんだか映画に魅せられはじめています。もしかしたら私の一点主義に合っているのかもしれません。これもこの年になって新たなる発見です!




2014年6月1日日曜日

バルテュス展(ヨシムラ)

きっぱりと夏がやってきた。
早朝から照りつける日射しが体内にも侵入してくる。しかしまだ6月が始まったばかりなのだ。昨年も一昨年も夏の間は芝居に明け暮れていた。立ち上げから準備、稽古、公演。目まぐるしい日々と暑さ。遠い日の出来事のようにも思う。今年はどんな夏になるのか。

上野の森を抜けて、バルテュス展へ。



観客として劇場に入るのには覚悟がいる。時間と空間を拘束されるからだ。奇跡的な瞬間に出会えることもあるが、このごろは拘束が負担になることもあって、ふらりと訪れることのできる空間に安らぎと魅力を感じてしまう。特に平日午前中の美術館は、ひろびろと心地よい。絵画とゆっくり対面できる。

バルテュスは「婦人のそれよりも、少女の美しさにより一層の興味や完璧さを覚えてしまったのです。少女たちは、最も完成された美を象徴しています」と言うように官能的な少女の絵が多くスキャンダラスな捉えられ方もされているが、実際の絵を見ると、まず色彩と光の美しさに目を奪われ、その瞬間にしか現れない少女のフォルムと表情を、切り取り永遠に描きつけたような筆致に圧倒される。美とは瞬時のものだ。欧州の空気、夕暮れの光、ワインの味なども懐かしくなるような絵画との時間。



そしてこの画家の魅力は、女性に愛され、女性を愛し年を重ねて刻まれた、この顔。色気と純真。ピカソやジャコメッティ、カミュ、フェリーニなどとも交流があり、晩年はスイスの山荘で節子夫人とともに和服で過ごしていたそうです。スイスのアトリエを再現した展示も圧巻でした。美術館を出て、国際こども図書館へ。明治時代の建造物なのだとか。ここも誰もいなくて空間を独り占め。





火曜日。下北沢ザ・スズナリ前にて、スリーショット!
おふたりはこの後、大谷亮介ひとり祭り『男の人生六十年』を観に劇場へ。




2014年5月26日月曜日

ミッドナイトFM(サカモト)



暗闇の観客席で、芝居が面白くないと違うことを考えはじめささやきが訪れるのを待った。その潜在意識にある心の声は、普段忙しくて忘れ去られた声であり、高いお金を出して観た舞台でも、沈没してしまった声を引きあげる作業をし、暗闇で自分をリセットしていた。

最近は面白い舞台に出会える確率は大幅に半減し、途中我慢ならなくなり退散する時もある。ささやきを待つこらえ症もなくなった。もっと早くなくなればよかったんだ。元々器用でない体質から、声を出し発言することが人より遅れ内面にストレスを抱えるものだから、発言できない言葉を演劇で表出しようとしていたのか。

映画は監督の独自性が生きている。先週続けて3本の韓国映画を見た。「嘆きのピエタ」「凍える牙」そして 「ミッドナイトFM」。キム・キドク監督が一番かとと思いつつ、キム・サンマン監督の「ミッドナイトFM」がよかった。緊張感が途切れず、役者も安心してみていられる。声のいい役者が琴線に触れてくる。
 

最近絵画が好きなのも、一点集中主義。
やはり表現は心の叫びであるのだから、
そこに焦点があってないと何をみているのかわからなくなってしまう。この歳になってこの世界で食べてもいけず二足の草鞋を肯定しつつも、もやもやしている自分を抱え、そんな癖の悪い自分にも嫌気がさしもう芝居なんてやめてしまえばいいと投げやりな春の嵐の中、今思うとうつ状態のようでした。腰の痛みもきっとそんなシグナルのひとつだったのかもしれません。治りました。

そして先週、久しぶりに韓国の演出家
イ・ユンテクさんともお会いし、熱い思いで
渡韓した3年前を思い出しました。なでしこJAPANも華奢な身体で世界と向きあっています。春、鶯の声と畑の中で過ごしましたが、迎え打つ夏に向かって本来の戦闘態勢の強い声がささやき出してきました。吉村さんも頑張ってるのだから、私も甘えたことを言ってられませんね。


イ・ユンテクさんが稽古場でよく言われてたお言葉「目を大きく開けて!」 d倉庫にて:ぺ・ミヒャンさんと


2014年5月18日日曜日

にっぽんの来し方、行く末。(ヨシムラ)

初夏の日射しがまぶしく、しかしすっかり出不精となり、たまに訪ねてくれる友人のみと交流し、夜は早寝の日々。サカモトとも一ヶ月前に会ったきり。サカモトと呼び捨てにするのは劇団時代の名残で、いつか呼び方を変えようと思いつつもずっとそのまま。今度会うとき変えてみようかな。一ヶ月前、錦糸町の韓国料理屋で、サカモト、ミヤジマ両氏から勧められた映画を思い出し観てみることにした。

にっぽん昆虫記


これは劇団の先輩、宮島健さんから、30年前に勧められたものの今に至ってしまった映画。ついに観ました。今村昌平監督、左幸子主演、50年前の作品です。東北の寒村で産まれた少女が売春宿の女将になるまでの半生が、泥臭いまでに逞しく描かれています。役者の顔つきが凄い。人間の本能、叫びがむき出しになりつつも、滑稽で愛しい。弱っている身にはパンチが効き過ぎましたが、目覚めたような気分になりました。

チャイナ・シンドローム



こちらは、1979年の公開当時も話題になりましたが、見逃していた作品。原発事故を扱った映画で、明日にも起こりうる悪夢を描いていますが、実際この映画のすぐ後で、スリーマイル島の事故があり、チェルノブイリ、そして福島、と悪夢は続いてしまいます。人間の偉大な発明と恩恵、そして驕り、天災と人災、疑わないことの恐ろしさ、今だからこそより深く感じる映画でした。名優ジャック・レモンの、苦悩と正義が心に残ります。

2014年5月11日日曜日

太宰治「善蔵を思ふ」(サカモト)

「神は、在る。きっと在る。人間至るところ青山。見るべし、無抵抗主義の成果を。私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買へ、というふ言葉が在る。青空は牢獄の窓から見たときに最も美しい、
とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。」「善蔵を思ふ」より~

マリー・ローラサン展「女の一生」を見に三鷹まで足を運びました。とても期待はしていたのですが何かがすれ違い、けれど私の中ではやはり「音楽」という作品が一番でした。何に惹かれたのかななどと自問自答。色合いではなかったのかと思いました。柔らい色。漂うやさしさ。パステル。

・・・薄紫。私が美しいなと感じる高齢者の方がいて、その方は色白で、薄紫の衣服、鞄、杖がよく似合う。

本人は福島弁を語り、あけっぴろげ。衣服には無頓着であるが、娘さんは伊勢丹で働いていると言っていました。さりげない高価なものをそしてお母さんがよく似合うものを娘さんが用意してくれている。私もこんな薄紫が似合う人になりたいなと思う。母の日11日、何も送らずごめんなさい。
沈丁花の香りは春になると切なく思い出が蘇る。この匂いはすごいなと毎年思う。私にとって桜より一年が再び訪れた印を感じさせる花である。植物がこんな強烈な匂いをかもし出すのか不思議であり、ハーブは大好きですが、心に刻まれる匂いは沈丁花です。三鷹までのバスの中で、三鷹といえば太宰治、玉川上水だよなと・・・。後で気づき太宰文学サロンが近くにあったのに行けばよかったです。

太宰治は思春期の頃、最もはまった作家である。まだ村上龍も村上春樹も出現してない。38歳で亡くなった。しかしやはりすごい芸術家である。言葉にくもりがない。この「善蔵を思ふ」は最近初めて読んだのですが、やはりこのような胸中があるからこそ、芸術に還元できたのではないかと思う。何のてらいもなく前に出たがる輩とは多いに一線をひくものがあるような。きっと時を経ても残るものは確実な一線なのかもしれない。
友から8種類の世界のビールが贈られてきました。8本目の最後のベルギービール「デュエル」を今日飲み干しました。際立った香りと味のゴールデンエール。非常にクリーミーで腰の強い泡立ちと、高いアルコール度数ながらそれを感じさせない口当たりのスムーズさと甘い香りが特色、これが悪魔たる所以)
ベルギーは白ビールもありますが、味覚は脳を刺激しますね。

初夏を感じさせるこの頃、オープンカフェで真昼から白ワインとクッキーで読書したオーストリアグラーツの夏を思いだします。日曜の夜は韓国ドラマ「トンイ」も終わり、次の楽しみを見つけます!

2014年5月3日土曜日

Love Me Tender(ヨシムラ)

術後の治療で免疫が下がり家にこもる日々、沈みゆく船の映像に鬱々としながらTVを消す気力もなく、食べず動かず、じっと臥せっていましたが、ある朝けろりと回復した感じがあり、深呼吸をして足取りを確かめながら、一週間ぶりに外へ出てみました。


5月。
眩しすぎる日射しを受けて、新緑がきらきら光って揺れています。頬に当たる風も心地よく、ああ、なんという気持ちのよい日なのでしょう。雨が降れば気持ちが沈み、快晴ならば生きる希望が満ちてきます。シーツもカーテンも思いつくものをみんな洗って干しました。

食欲がないときから、少し元気になってきた過程を、食事の写真で綴ってみました。





 高校生の姪が来て作ってくれたハンバーグ。


忌野清志郎。
5月2日はキヨシローの命日です。というわけで、古いCDを取り出して聴きました。「スローバラード」や「トランジスタ・ラジオ」は、言葉とメロディーと声の危うさ切なさが絶妙で、いつ聴いても胸が痛くなるようで、その感覚は今も変わりません。けれど、後年発表した「COVERS」では、ラブミーテンダーを「なに言ってんだー ふざけんじゃねぇ 核などいらねー」と反原発をストレート過ぎる歌詞で歌い、その頃のキヨシローの行動は、突飛なものに感じていました。2009年の5月に彼が亡くなり、2011年の3月に起きたことを思うと、キヨシローの挑戦、信念が、いかに凄いものであったか、そしてその頃の自分がいかに無頓着であったか、と知らされます。後年の彼の闘病もまた、今の自分には様々な思いが沁みてきます。