ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2014年4月26日土曜日

魔女の一撃(サカモト)


朝起きて台所に移動し、何かを取ろうと腰をかがめた瞬間、腰全体が浮き上がるようなガクッとした音がした。今までにない感覚と共にこれは只事ではないという恐怖心。内臓ではなく、骨がこれまでにない違う場所へ浮きあがった感覚。健康だった過信が一気に打ちのめされる。これって何?

整形外科は昔から思っていたけれど、レントゲンを撮り医者は動かず電気治療。でも骨密度も知りたくて久しぶりの受診。待合室の週刊文春を読むと、中村うさぎさんのエッセイが最後と知りさみしい。

ぎっくり腰は「魔女の一撃」とも言われている。人間、腰が立たなくなると全てがうまくいかなくなる。その日一日、痛みに目の前が真っ暗になった。そんな悲痛な時間の中で人間っておもしろいものだなと思った。この一日半でいかにいろいろなことを思ったか。湿布を出してくれた年配の女性が、「先日急に寒くなったでしょ、あれがね~」と言った。春の気候の安定しない寒い一日、私は久しぶりに韓国の戯曲上演メンバーと新大久保で飲んだ。それから二日後、冷えたのだろう。

痛みというものは世界の情勢なんて関係ない、もうひたすら自分に執着する。そして一日半が経ち歩きだした。その間何もできないので家で薬の整理をしていたら、薬剤師の年配の女性は私が数年前ふくらはぎ断裂からくる腰の痛みでこの整形外科に訪れた時も、薬局にいた方だった。確かあの時も言葉を交わしたような・・・。
フルネームの印鑑が証明していた。薬剤師さんの暖かいさりげない言葉にほだされる。お互い覚えてなどいない。その人の仕事が作業だけでないもっと深いものを感じさせ、年月を経てもその方を保証してくれている。

そして4月半ば、葉桜宴会。錦糸町の韓国居酒屋「ハンラサン」。元劇団仲間の宮島さんが予約をしてくれ、
三人で宴会。舞台関係者が多く訪れるこの場で、かきあげの様な分厚いチヂミを食べる。

そしてそしてもうすぐ5月、暖かくなってきました。
向こうの世界に行った人も、今を生きている人も通じ合える。それこそ芸術だし、魂。
この世にいる限り、やはり頑張らなくてはだめでしょ。いつやるの?少し休んで、今でしょ!

2014年4月21日月曜日

春眠(ヨシムラ)

 桜が散り、肌寒い週末でしたが、久々に歩いた街角には様々な花が咲いていました。

ずっしりと見事な八重桜。

よそのお宅の、菖蒲(ですよね)。

歩道のツツジ。

神社の大木、新緑!

今回は、春眠〜心身メンテナンス中にて〜で小休止。
画像のみにて失礼します。



2014年4月12日土曜日

マリー・ローランサン展~女の一生(サカモト)



図書館内のギャラリィの横にさしてあったチラシにふと目がいき、一枚手に取った。それは「音楽」という絵で、その女の魚のような動かない死んだような目と、パステルな美しい色合いに惹きつけられた。

子供の頃、しらすを食べるのが怖くて怖くてしょうがなかった。あんな目玉だらけのものを食べる・・・刺身は30際半ばまでだめだった。生きたものを切り刻んで食べるなど、到底理解できない。おいしいよと薦められても、私にとっては意味の違う話なのだ。・・・しかし食べられるようになった。

日本人には人気のある画家だそうだが、私は全然知らなかった。なんとなく夢み心地のような、ちょっと淋しげで、ふわっとした感覚。このふわっとした感覚に潜む何かを想像する楽しみ。若かった頃より、今、絵画っていいなと思う。

マリー・ローランサンという女性画家、詩人アポリネールとの出会い。この一人の女の生涯をたどると、興味がわく。彼女は私生児であった。ジャン・ジュネもそうだがパリの芸術家達は、どんな地下室から作品を生み出していくのか、又生み出さずにはいられないのか。そんなことも思いながら、これから2ヶ月に渡り展覧会があるのでふらっと見にいこうかなと思っている。



鎮 静 剤
              マリー・ローランサン
                  堀口大學 訳


退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


LE CALMANT
             Marie Laurencin

Plus qu'ennuyée Triste.

Plus que triste Malheureuse.

Plus que malheureuse Souffrante.

Plus que souffrante Abandonnée.

Plus qu'abandonnée Seule au monde.

Plus que seule au monde Exilée.

Plus qu'exilée Morte.



2014年4月6日日曜日

今年の桜(ヨシムラ)


今年の桜

新年度の出勤時、早朝の桜です。昨日までの木とは思えぬ一夜の変貌で、満開。今年の桜は、一気に開き、急激に訪れる冷雨や突風に舞い散らされながらも、すっくと立って見事です。



退社後は、近くの六義園へ行き、しだれ桜と、老木ながらぎっしりと花をつけているこちらの桜。曇り空に溶けん込んでしまいそうな淡い色です。

              

散るからこその美しさとはいえ、なんと儚いものでしょうか。




何度も出演させていただいている劇団の公演を、今回は客席で見ました。いつもの個性的なメンバーに加え、ダンサーや若い方々も加わりにぎやかな取り合わせ。


エッシャーのだまし絵のような舞台美術、そして、西村賢太の『悪夢―或いは「閉鎖されたレストランの話」』のエピソードの挿入。たくさんの「?」を必死に追いかけてゆくと(ここで諦めてはいけない)、ぎょっとする展開があり、すこんと底が抜けた空が見える。


「誰も見てなくても、夕焼けは赤いの?」
「わたしたちは同じ失敗をくりかえしている」
「そんなふうに死んでくれるな」
「ものすごく高く飛ぶと、空は下に見える」


などなど、心に刺さる台詞がいくつもありました。
出演者の渡辺信子さん、大草理乙子さん、山上優さん、同じ日に見に来ていた、中川安奈さん、村松恭子さん、そして我々。皆同年代で皆芝居を続けている力強い仲間たち。共にここまできて、まだまだこれからもご一緒したい方ばかりです。

「人生においては、何かが起きた場所がいくつか、あるいはもしかしたらたったひとつあり、そしてその他いろいろな場所がある」
チラシの裏の、アリス・マンローの言葉が気になり・・・


小説のように (新潮クレスト・ブックス)
読んでみました。82歳でノーベル文学賞を受賞したカナダの作家の小説集です。十の短編ですが、それぞれに中身が濃く味わい深く、何度も読み返したくなる作品でした。人生の一瞬(多くは苦しく辛い)を切り取り、読む者を深い次元に連れて行きながら、短編の潔さがあり、簡潔さゆえ長く余韻を残すような。美しく聡明に歳をとりたい。マンローのように。

2014年3月30日日曜日

無残なメディアの詩(サカモト)

春の嵐のように、どこ吹く風~今年はもっと進化しますよ! そして4月、年度の初め、
新しい分野へ突入していきます。日々起きることが新鮮。先週観てきた舞台です。
無残なメディアの詩
神話は物語という湖の源泉である。神話を読み古典と再び出会うことは、その湖の水を汲み、また受け継いでゆく行為である。私たちはそうして物語と出合ってきた。その湖には、今も多くの語り手、芸術家が集まってくる。が、少しずつ荒んできてしまっているのかもしれない~

本作品は、ある「女」が惨めに生きる存在としてそこにある幻想的な物語。いかなる状況においても、決して諦めず、幻を求めて彷徨う「女」を描きたい思う。(チラシより抜粋)

女性を描きだす演出家に出会えた喜びがある。舞台には水も張られ、美しい。演出家は若い男性であった。韓国の作品に感動するのは、ストレートさ。伝えたいことがしっかり伝わってくる。トークショーもあり、演出家は司会者の顔も評論家の顔も一度も見ず、お客さんが今この公演を観てどう思っているのか、めっちゃ知りたくてしょうがないと語った。私はこの擦れていない演出家に大変好感を持った。


「エッシャーの家」かもねぎショット:ずっとお世話になっている劇団に、自分が出演してない舞台を久しぶりに観る。本、知っているメンバー。へエーこう見えるのか・・いい役者はいい演出家だともいうが、私しゃほど遠い。でも今度自分が出演させていただける時には、役柄は本当に距離のあるとてもこりゃ自分の力量では届かないそんな役をやりたいなと思った。早稲田小劇場(後にSCOT)、劇団第三エロチカ、WAHAHA本舗、EDメタリックシアター、そして今も存続する劇団に在籍している方々、その時代、さまざまに頑張ってきたメンバーが、今も演劇魂を持ち続け舞台を踏む。そんなメンバーは大切で、感謝したい。


身体の景色
韓国でお世話になり、現在は日本で劇団を立ちあげているぺ・ミヒゃンさんから、遊びにおいでと声がかかり、稽古風景を見にいった。5月にD倉庫、6月にソウルゲリラ劇場での公演。題材は「マクベス」。俳優、岡野さんが語るマクベス婦人の台詞に思いが込みあげてくる。遠い昔、海外の公演で自分もこの台詞を語っていた。マクベス婦人の言葉は、人が野心に向かって挑んでいくぎりぎりの内面を語っている。構造の面白さもあるので、是非いい舞台になる事を!

~外から人のことを言うのは簡単で、現役はいつだって辛い。身体を鍛えなおし、筋肉疲労が快感になるように、いい舞台を踏むことを願って私も演じ続けたい、そんな年度の締めくくりでした~

2014年3月23日日曜日

バベットの晩餐会(ヨシムラ)

午前6時の出勤時もだいぶ明るくなり、冷え込みも少し和らいできました。ご近所の桜はまだ蕾ですが、毎朝会うネコやハトもどことなく浮かれているような、春待ちの風景です。



これからやる芝居のヒントになればと、映画や絵画を廻っている中、「バベットの晩餐会」を観た。美しいデンマークの老姉妹に、フランスから亡命してきたバベットが振る舞う、一夜限りの贅沢な宴。その料理が、姉妹の若き日の情熱や恋を蘇らせ、寒村の人々の心にも明りが灯る。バベットの芸術と、受け取る(食べる)客の奇跡的な出会い。受け取る者がいなければ、芸術は成立しないという、あたりまえのことに気づかされた。




映画や絵画であれば、時を経て届く場合もあるが、演劇と料理はその場で味わわなければ消えてしまう、刹那的な芸術であるという点で似ているのかもしれない。



またこの映画の美酒美食の極みを見るにつけ思い出されるのは、1999年オーストリアのグラーツを訪れたときのことだ。市場に並ぶ獲れたての野菜、パンとチーズ。発酵途中の若いワイン「シュトルム」や食前に飲む度の強いハーブ酒。昼は芝居を作り、夜は観劇、心ゆくまでワインを飲みながら語り合えた日々。最も豊かで幸せな時間を過ごした街。ヨーロッパの村の風景から様々な感傷が押し寄せてきた。





2014年3月16日日曜日

満開になるには・・・(サカモト)




老いて、認知症になったとしても、からだが動かなくなっても、心打たれる。その人の美しさが、もうなんの見境なく表出してくる。そんな女性に出会うと、女もひとりでもどうなっても悪くないと思える。

この人生、たまたま誰かと出会いそれが続いていく。そんなこと思ってもいなかった。好きな男性が全てと思うときもあったが、別れは辛く心が軋む。けれど女性との関係は和らいでいて緩やか。温泉のようにじわっと温めてくれる。

久しぶりに二人で飲んだ。新宿で芝居を観て、行きつけの焼き鳥屋。中国人のバイトの子が最初写真を撮ってくれた。つっけんどんの対応からこんな頼みもどうかと思ったが、撮るとなったら一生懸命になってくれる。しかし写真はいまいち。結局二人で撮った。自画自賛。ZORAは二人でやってきました。二人でやるには限界もあったけれど、これまで関わっていただいた方には、本当に感謝しています。

役者は自分が強すぎると客観的になれなくて、最終的には損をする気がします。勝気はよくない。存在が空気の中で、自然に生きてくるようになればいい。私もそうなりたい。こんなことを言えるようになったのも人生半ばを過ぎたから。そういう意味では、映画俳優の自然さというものに惹かれます。今年は芝居を沢山観て、いい映画を見て、人の話もたくさん傾聴したいです。

春はもう芽を吹いています。今年の花見はどこにしましょうか・・・。