「女中たち」の終盤、ソランジュの長台詞がある。私が演じるクレールは、姉ソランジュに殺され床に横たわっている。再び起きあがるまで、長い時間がある。お客さんに背を向けているので、うっすら目を開ける。その時、暗闇の舞台に差し込む、青い照明の細い光の筋が、目に飛び込んできた。ああ、と私は横たわりながらも崩れ落ちそうな気持ちになった。ジャン・ジュネの生きていた空間、時代、悲しみ、力強さが、スーっと脳をよぎり、私を満たしたのだ。
これに似た体験を、やはり能「隅田川」のシテ母親をやったときにもあった。面をつけ、一足進むにもよく見えない中で、やっと全ての台詞が終わり、最後に正面を切った時に私の内面の声が自然に溢れ出したのだ。「ヒデオ先生ありがとうございました。」その時は既に他界されていた恩師である観世栄夫さんへの思いだった。
李潤澤さんも、観世さんも、本当に一生懸命に教えてくれる。李潤澤さんは、既に自分が死んだ時のことを視野に入れ発言する。観世さんはいつまでも生きていたい人だった。こんな熱い演劇への魂を持った演出家に出会えて、私はとても幸せだと思う。今年前半は、「女中たち」1本に力を注ぎ、韓国に赴きいい体験でした。さみしいけれど、これで一区切りです。
疲れから開放されぬうち、仲間うちからは公演を終え2、3日も経つと、厳しいご意見が相次ぎ、なるほど、さすがこれまで一緒にやってきただけのことはある、その意見に頷いてしまいます。けれど初めてお会いした方から暖かい声もいただき、その瞳にも感謝しています。もっと長い公演であれば、修正しながらもより厚いものになる可能性もあるのになあなどと、まだまだ欲張り心満載です。
そして9月になりました。怒涛の如く終えた8月に幕をひき、カレンダーのページを一枚捲りました。これから来ていただいた皆さんに少しづつですが、お礼のお手紙を書きつつ、次の公演の準備に入ります。本当に来てくださった皆様、ありがとうございます。これからも精進し、皆さんに何かを感じていただける公演をできればと思っています。鈴虫の音色に空気も澄み、季節も少しづつ移ろいを増していくことでしょう。スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋、どうぞ皆さんにとって健やかな日々でありますようにと願っています。 坂本容志枝