ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2012年2月26日日曜日

長い冬のあとに(ヨシムラ)


髪を染めようと勢い込んで美容院に行ったら改装中。がっかり。仕方なく染料を買って帰り、自分で染めることにする。説明書が読みづらい。視力が低下している。先日は飲んで帰る電車でうっかり寝てしまい慌てて降りる際、しびれた足に気づかず立ちあがって足首を思いきり捻った。まだ痛い。なんというか、わびしい。いったいあと何年生きるかわからないけれど、髪を染めるという作業はこの先いつまで続くのだろうか。気が遠くなる。小さなつまずきが取り返しのつかないことのように思える夜。ゴム手袋をはめ、こわい顔の女が鏡に映っている。


NHKでタンザニアのハッザ族を紹介する番組をやっていて思わず釘付けになった。「明日、明後日」はあっても、その先を表す言葉がない。カレンダーも年齢もない。先のことを考えないから心配もない。そもそも「心配」という概念がないのだという。男の価値は狩りの腕前。実にシンプル。今日を楽しく生きる。家族で獲物を分け合い、みな白い歯をむきだして笑っている。幸せそう。

さて、生まれたときから飽食時代、肥満児として幼少期を過ごしたわたしは。時間に追われ、あらゆる不安や欲望から逃れられないこの国で生きていかなくてはいけないわたしは。

放っておけば衰えるカラダをどうするか。サカモトの合気道にも触発されるが、そもそもスポーツ全般自信がなく敷居が高い。折よく赤塚のスタジオで「フェルデンクライス」のワークショップがあるというので「これはどうか」と行ってみた。「体が硬い人はいない、なぜならみな赤ちゃんだったのだから。体が硬いと思い込んでるか、または自分で硬くしているだけ」という先生の言葉に、よくわからないながらも暗示にかけられ、ああそうか、と素直に世界に入る。フェルデンクライスのメソッドは、本来人間に備わっている自然な動きの質を高める意識の訓練のようなもので、無理をしないところがわたし向きかと思った。一番長くつきあうもの(自分の体)でありながら、なんと知らないことが多いことか。骨のなりたち、内蔵の位置や働き。細部のひとつひとつ、休むことなく支えてくれているのだ。体を意識することは表現者にとって実に重要なことだと改めて身をもって感じる。頭も心も体がなくては動かないのだ。この体を使って生きる。この体で生きて、働いて、表現してゆくのだ。もっと、ずっと。

NHK 地球イチバン「タンザニア」
フェルデンクライス 小林和美先生のページ

2012年2月19日日曜日

生まれてくるもの(サカモト)



高齢者がふえつつある現代。きっと人生折り返し地点の50代頃から、また人それぞれベクトルの違う人生がはじまるような気がしています。早く亡くなられる方、長生きされる方。その差は30年も違ってきます。生まれてから成人式をあげるまでより長い。成人式の頃は親まかせで晴れ着を着ても感謝の気持ちも薄かったけれど、今ならこんなに面白い世に出現させたくれた感謝の気持ちも心に深く、本当の成人になって人生を新たに歩みだしたい心境です。

この2月から始めた合気道。スポーツクラブからの脱却、渇きもあって、自分のからだを動かすルーツのようなものを探し続けていました。まだ4回しか通ってはいないのですが続けられそうな気がしています。動きが理にかなっていて、そしてこれまで体験したことがないのに懐かしさを感じます。新鮮!


主宰し師範の方の動き、言葉にも心が洗われます。「人と宇宙の気の融合」こんな言葉もなかなか聞けません、82歳。凛としかっこいい。昨日は、窓も開け放し稽古。暖房もない道場で裸足で。若輩ものの私はまだまだ寒さが身にしみながらいると、男性達がにこにこしながら窓の外を見ています。ふと見ると牡丹雪が降っています。ふわふわとぼさぼさと。暗闇にその白さが浮きあがってきます。子供の頃は今のように暖房が普及されていなかったので、あかぎれの子や青っ洟流している子がそこらにいました。寒かったら自分のからだをこすりさすったりして暖めていました。そうして自分で身体を動かしていた。

帰りの電車の中でふと息を吐き、座れないかななどと座席を見ると座席一列全員が、携帯電話と向きあい頭を下げていました。「人と宇宙の気の融合」か、そのことばが脳裏をよぎっていきます。先ほど見た窓の外の牡丹雪の美しさも消えかかっていきそうで、ううっここでこらえなければなどと一人で噛みしめている変な女。美しいと感じた自分のアンテナを絶対失いたくない。ああ、旅にでもでようか。卒業旅行も新婚旅行もしてこなかったから、ここらで人生の折り返し地点、最出発旅行をしたい、牡丹雪の美しさを忘れぬうちに。そんなことを思った寒い寒い夜でした。


昔から好きな童謡「ドナドナ



2012年2月13日月曜日

『金閣寺』(ヨシムラ)

心揺さぶられる舞台との出会いは、いくつもあるものではない。通り一遍すぐ忘れてしまう作品の方が遥かに多い。

そんななか『金閣寺』である。


ニューヨークで絶賛されての凱旋公演、先に観劇した知人たちからの評判も聞いて相当期待して出かけたが、この作品との対峙は、衝撃とか感動とかという言葉では表せない。観ていて苦しく、動悸が止まらない場面がいくつもあった。10代後半に読んだ小説「金閣寺」は人間の中の得体の知れぬものを見せられ恐ろしかった。宮本亜門が構築した舞台「金閣寺」は、奇をてらわず狂気も強調しないが、人間の声や身体の表現の可能性に迫り、三島由紀夫の苦悩を超えた、現代の生の叫びを、心の軋みを、人間の美しさを表している。心の奥底が、静かで深い名づけられない感情で満たされてゆく。時間が経っても消えない。

主演の溝口を演じた森田剛が素晴らしく、神経が研ぎ澄まされ、肢体も声も1秒もブレがなく覚醒していた。溝口が背を丸め、ただ庭を掃いているだけの場面にも泣きそうになる。こういう人のこういう瞬間を目撃できるのが舞台の醍醐味ではないかと思う。

「演劇は趣味か」と聞かれることがあり、そのときどきで自嘲的に「ああそうね」と思ったり、「ふざけるな」と思ったりするが、覚悟の問題であろう。「演劇は趣味か」などと問われない姿勢、空気を発散していなければ。要は覚悟なのだ。と、この芝居を観ていてそんなことを思った。

溝口が焼け落ちた金閣寺を見下ろしながら
ゆっくりと煙草を吸い、立ち上がって言う
「生きよう」
そのささやくような一言が、
その覚悟が何より美しかった。

 

赤坂ACTシアター「金閣寺」

2012年2月5日日曜日

大阪 小町風伝(サカモト)



3日深夜バスで新宿発、4日早朝に大阪到着。立春といえども寒い。昨年韓国でお世話になった李澤潤(イ・ユンテク)さんの舞台を観るために大阪へ。大阪は2004年に「子午線の祀り」の舞台で滞在した以来であったので、とても久しぶりでした。そして大阪駅を歩いていると、空気、顔つきの違いを感じます。いつも住み慣れているところから離れてみると、やはり独特な気持ちになります。女三人、昼はお好み焼きのランチを済ませ、天王寺の一心寺シアターへ。劇場はまだ新しくとても綺麗でした。この日の昼の公演は超満員。劇団コリペの方、李澤潤さんのご家族の方と久しぶりにお会いし、昨年がとても懐かしく感じられ、又今年も行くと決めたメンバーにエールを送り、私は今年は日本でやらねばならぬ事があると、心を引き締めました。

老婆駒子を演じられた関西芸術座所属の河東けいさん。88歳。このご年齢で舞台を2時間、主役で出ずっぱりです。昨年の私達の「女中たち」の公演の際には、神戸から深夜バスで新宿に早朝到着し、その日の昼は韓日バージョン、夜は韓国バージョンと、2本立て続けにご覧になり、歓談。もうすぐバスがでるわと新宿からまた深夜バスでとんぼ帰り。そのエネルギーに脱帽です。私ですら、久しぶりの深夜バスに首は痛くなるわ腰は痛くなるわ。終演後、河東けいさんにお会いしその凛としたお姿に再び元気をもらいました。日韓演劇フェスティバルIN大阪

芝居はさすがです。根底にある志す方向性が明晰なので、舞台に落ちつきがあります。太田省吾さんの沈黙劇を、ユンテクさんは解き放ち言語に置き換えています。言わないことへの集中と緊張から、饒舌へ。若い方はご存知ないと思いますが、20年以上も前に太田省吾さんの「水の駅」、「小町風伝」も見ている私にとっては、この沈黙の芝居の裏にはこんな言葉があったのだなと面白く感じました。ユンテクさんは、まだご存命だった頃の太田省吾さんに「もう韓国演劇の伝統に閉じこもらず、ユニヴァーサルな世界を追求してみたら・・・。」とおっしゃられたそうです。その一筋縄ではいかないユニヴァーサル性を獲得できるか、ユンテクさんは懐疑的であったにも関わらず、「小町風伝」で今回上記のような方法で試みています。日本と韓国、そして両方を携えた第三の相互的なものがあるのか、それとも単なる文化交流にとどまる雑種演劇になるのかと言い切っています。そのような課題を持つか持たぬかでは大きな違いです。そんな課題を持ちつつ挑んでいくユンテクさんにやはり拍手を送りたいです。


疲れもあって、静かなシーンが続くと時折睡魔にも襲われましたが、終演後、皆で近くの店に赴き、ユンテクさんにうどんとすしをご馳走になり、お別れしました。私はもう今年はユンテクさんとお会いできる時はないでしょう。同じ日本でも、東京と大阪の空気感の違いを感じます。日本と韓国も長い歴史がありました。でもこうして時が流れ韓流ブームというものもやってきました。未来はやはり自らの手で創りあげていくものだと実感します。ユンテクさんがダメだしでよく言っておられました。「目を大きくあけて!」甘えてばかりではいられません。さて春に向かって。