心揺さぶられる舞台との出会いは、いくつもあるものではない。通り一遍すぐ忘れてしまう作品の方が遥かに多い。
そんななか『金閣寺』である。
ニューヨークで絶賛されての凱旋公演、先に観劇した知人たちからの評判も聞いて相当期待して出かけたが、この作品との対峙は、衝撃とか感動とかという言葉では表せない。観ていて苦しく、動悸が止まらない場面がいくつもあった。10代後半に読んだ小説「金閣寺」は人間の中の得体の知れぬものを見せられ恐ろしかった。宮本亜門が構築した舞台「金閣寺」は、奇をてらわず狂気も強調しないが、人間の声や身体の表現の可能性に迫り、三島由紀夫の苦悩を超えた、現代の生の叫びを、心の軋みを、人間の美しさを表している。心の奥底が、静かで深い名づけられない感情で満たされてゆく。時間が経っても消えない。
主演の溝口を演じた森田剛が素晴らしく、神経が研ぎ澄まされ、肢体も声も1秒もブレがなく覚醒していた。溝口が背を丸め、ただ庭を掃いているだけの場面にも泣きそうになる。こういう人のこういう瞬間を目撃できるのが舞台の醍醐味ではないかと思う。
「演劇は趣味か」と聞かれることがあり、そのときどきで自嘲的に「ああそうね」と思ったり、「ふざけるな」と思ったりするが、覚悟の問題であろう。「演劇は趣味か」などと問われない姿勢、空気を発散していなければ。要は覚悟なのだ。と、この芝居を観ていてそんなことを思った。
溝口が焼け落ちた金閣寺を見下ろしながら
ゆっくりと煙草を吸い、立ち上がって言う
「生きよう」
そのささやくような一言が、
その覚悟が何より美しかった。
赤坂ACTシアター「金閣寺」