ABOUT US

1982早稲田小劇場入団
1988劇団第三エロチカ入団
2001ZORAを劇団第三エロチカ吉村、坂本で活動。
2015吉村他界。
2019ZORAを閉じる。
2021「プロジェクト榮」を、演出:俳優/篠本賢一、
舞踊家:俳優/花柳妙千鶴と活動開始。
2023「よなよな」久保庭尚子と立ち上げ。

2017年4月24日月曜日

南アフリカ(ケープタウン)「第19回アシテジ世界大会」に行ってきます!


アシテジ

3年に一回開催されます「アシテジ世界大会」が、来月5月中旬から「南アフリカ・ケープタウン(第19回)」で行われます。香港経由でヨハネスブルグそしてケープタウンに。当初2週間滞在する事は無理かなと思っていたのですが行ける事となり、開会式から、授賞の夕べ、閉会式まで全日程に参加します。南アフリカ16作品、海外23作品、国際共同制作10作品、ベイビードラマ8作品、ショーケース作品15作品と70作品以上の公演があるそうです。全部は観劇できないと思いますができるだけ観てきます。韓国のミリャン演劇祭の開催初日に夜空に花火が次々と打ち上げられた時には鳥肌が立ちました。これまで行ったヨーロッパ、アメリカとはきっとまた違う異国での香り、空気に久しぶりに触れてきます。


そして自然、動物、ワインの宝庫。
前アシテジ世界理事の方曰く「ケープタウンは私にとって世界中で一番好きな街です。まずは風光明媚。人も優しい。そして食事も安いし美味しい」とのこと。私は世界地図を見ながら妄想をめぐらしています。新しいスーツケースも購入。時代は日進月歩。なんて軽いスーツケースが溢れてるのでしょう。もうヨドバシのお兄ちゃんと話込んでしまいました。韓国で車輪が朽ち果てながらどうにか使用していましたが、この都度さよならしました。さよならしたらその時代にもひとつの区切りが。これからは新しい紫のスーツケース
と思い出を紡いでいきます。

2017年4月17日月曜日

中村うさぎさんの本




昔、吉村さんとZORAで稽古していた幡ヶ谷での会館に週間雑誌が棚にあり「うさぎとマツコの往復書簡」の連載を稽古が始まる前によく読んでいた。私が面白い面白いと言うと吉村さんは目も触れず全然興味がなかった。だからその面白さを私はそっと自分の胸に潜めていた。私は中村うさぎさんのことをあまり知らなかったのだが、その小気味のよさ、自分を客観視できる精神に参ってしまった。それに何しろ笑えた。

この世界に入ったのだって子供の頃からの世界に対するというか世の中にそぐわない違和感を感じ、表現という分野でしかこの思いは昇華できないと思っていた。でも芸術をやる人も年を経ると激しさも普通の大人になり、いい意味で社会との折り合いのつけ方も学び、知らずにその世界感を心に持ち続ける人は淘汰され少なくなるんだんなあと思う今日この頃である。これは否定でもなくそれが成長するということかもしれない。

私は成長できずにいる。一歩間違えたら私だってはみだしどうしようもなかったのだ。うさぎささんは「変人に告ぐ」と明言し、その歪みの客観生を自分で有していればその理性が足元を照らしてくれると。歪んでいない人間などいないと言う。

ところでアフリカに行く迄時間が押してきたのに全く準備ができていない。世界は戦闘態勢で怖いが私はとりあえず自分の準備をこつこつやっていこうと思う。桜も散り始め次は濃いつつじの出番が待っている。



2017年4月10日月曜日

水魔

 橘少夢「水魔」

4月9日日曜日午前中はプールで泳ぎ、午後友達の日舞の発表会に国立劇場に赴く。連獅子を親子で舞い圧巻。松の舞台を背に白銀赤金の着物、袴が冴え美しい。友の舞にお互いの歴史を感じました。白石加代子さんの衣装もされている江幡洋子さん。蜷川さんの舞台にも出演されていました。今は日舞を大学でも講師として教えておられます。白石さんの旦那様深尾さんもいらしておられ久しぶりにお会いしお話しました。三宅坂の桜は雨に濡れ、帰りは四谷まで深尾さんが車で送ってくれました。

私は調べものがあり、その後地元の図書館へ。地元に着くと雨はあがっている。コーヒーを飲みすっきりし本探し。久しぶりにはっとする絵をみました。本筋で調べたいものはみつからず、でもこんな出会いがあるのが図書館。言葉にせずとも惹きつけられる。そんな出会いがいいですね。

2017年4月3日月曜日

雷と春


清らかで薄ピンク。その柔らかで薄い花びらに人は酔いしれる。年を重ねれば人生の垢はつくけれど、年に一度整理してまた歩みだす。2日の日曜日は以前いた劇団の先輩達と会いました。ゆったりと過ごせてるこの4月に会えてよかったと思いました。ひとり、天国へと送る方の集まりでした。インド式のお祈りがありお焼香をしてきました。私は吉村さんの分もと祈りました。

昼から飲み、ふらふらと帰宅しこれからまだ第二の人生があると思いました。無我夢中で走り続けてきた若い時とは違い、寂しさや憂鬱さ、年を重ねてからの喪失感は溝を埋めようと思っても違う質で忍び寄ってくるのかもしれませんが…。


私はずっと忙しく交感神経の行きっぱなしだったんですね。今、自分のからだを休ませてあげると血圧も下がり違うシグナルが動きだす。日本を出るまではいい音楽を聴いたり読書をしたりしてゆったりと過ごそうと思っています。