バレンティン左、坂本 / モリーナ右、吉村
芝居がはねて1週間経つ頃、いつも変な気分に襲われます。1週間前には、あんなに一生懸命打ち込んでいた自分がいたはずだったのに今のざまは?そしてその1週間は、とてつもなく早く過ぎ去るのです。時間という観念は、決して平等ではない。
芝居に明かりと音は、相乗効果として大きな影響を及ぼしてきます。総合芸術である芝居は、いいスタッフ抜きでは考えられません。けれど、零細企業の私達にできる事は限られています。それでもスタッフの暖かさに見守られ、無事終えることができました。そして演出協力をして下さった扇田さん。これまでもお世話になっていましたが、今回ある確かな手ごたえを感じました。この確かさはセンス、感覚、という言葉にならぬ架け橋を与えてくれます。はじめて扇田さんの率いる劇団、ヒンドウー五千回の「メキシコの犬」を観た時の、自分の直感を信じて本当によかったと思います。
残り蚊がこの夏最後の血を吸い尽くそうと、私の肌を何箇所もつき刺し、その肌はアレルギー症状になり真っ赤に膨張し、かゆくて気が変になりそうです。脳裏には「蜘蛛女のキス」の台詞のいくつかがまだ渦巻いています。この残り蚊のように、この作品が私を吸い尽くすのならこれを再演する価値はあるかもしれません。
家の前の川沿いから流れてくる虫の声、風の音。何種類もの虫の音色が重なりあう。加工ではない音。芝居は加工ではなく、生であり続ける。
私が演じた政治活動家バレンティンは口では政治的な能書きを沢山垂れましたが、そんなことより、この男にとっての革命は断固とした男であるのにお漏らしをしてしまったり、男女間を越えた交わりを体験することによって、これまでにない彼の何かが崩れおちていったのではないかと思うのです。その人間にとっての目を開かれるような新しい体験、愛がより人を息づかせる何かを呼び起こす。人間は本当におもしろいです。